『新九郎、奔る!』新九郎って誰!?

謎だった伊勢新九郎の半生

『新九郎、奔る!』の第1巻の冒頭や公式HPなどの作品紹介では、新九郎の”詳細”に触れていません。

よって、本作品の記事「『新九郎、奔る!』」でもあえて触れず、こちらの記事でご紹介しています。


彼が”何者なのか”、
漫画の成り行きで明らかにされるまで
知りたくない!という方は
これより先は読まないでください

 

すでに新九郎の”正体”は知っているけど、詳しくは知らないという方は、是非、この後をお読みください。
作品の今後の展開がぐっと面白くなると思います。

 

 

伊勢新九郎』はのちの『北条早雲』です。

ちなみに、本人は”伊勢新九郎”で通し、出家後は早雲庵宗瑞そうずいと名乗っていて、自身では一度も北条を名乗っていません。

鎌倉時代の執権北条氏と区別して、早雲を始祖とする北条氏を後北条氏といいます。

約百年間、氏直までの後北条氏五代の礎を築いた早雲ですが、彼の出自には諸説あります。

有名なのは、小説や映画、ドラマなどで「一介の素浪人から戦国大名にのし上がった人物」とされたため広く一般に定着した「伊勢素浪人説」。

また、「京都伊勢氏説」は、室町幕府の政所執事を務めた名門京都伊勢氏の一族だったという説で、専門家の間で支持されていました。

これらに対して、本作品『新九郎、奔る!』は、「備中伊勢氏説」をベースに描かれています。
戦後にでた比較的新しい説で、他説と比べて、豊富な史料に裏付けられているため、現在ではこの備中伊勢氏説が最も有力とされています。

この説によると、新九郎の父親は室町幕府官僚で申次衆伊勢盛定としており、本作品もこの説を採用しています。

しかし、母親は盛定の正室で伊勢宗家当主・伊勢貞国の娘というのが通説であるのに対して、作品では『北条五代記』の記載を採り、盛定の側室で堀越公方被官・横井掃部助の娘(浅茅、あさじ)を生母としています。

また、新九郎が生まれ育った地は、父の所領がある備中国荏原郷と説ではしている一方、作品では、傅役・大道寺右馬介の山城国宇治の館から将軍直臣の父と一家が暮らす京都に移り住み、その後、新九郎の元服後に父の名代として荏原に下向したとしています。

なお、彼の生まれた年は、永享4年(1432年)生まれの享年88歳説ではなく、康正2年(1456年)生まれの享年64歳説を採用しています。

物語は、成人した新九郎は室町幕府奉公衆として、幕命により足利茶々丸の首を獲りに、伊豆の堀越御所に討ち入るシーンで始まります。
この伊豆討ち入りは、新九郎が戦国大名としての最初の一歩であり、下克上の始まりとも言われています。

(参考:Wikipedia 「新九郎、奔る!」「北条早雲」)

 

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第1巻

戦国大名の先駆け、伊勢新九郎の物語! 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…… かの有名な武将たちが活躍する時代の少し前、戦乱の世のはじまりを生き抜き、切り開いた男がいた――― その名を伊勢新九郎。彼はいかにして戦国大名となったのか。彼はそもそも何者だったのか。知られざる伊勢新九郎の生涯を、まったく新しい解釈で描く意欲作! 「戦国大名のはしり」とも言われる武将を描く、話題騒然の本格歴史コミック、待望の第1集!!!!!

 

 

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